大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

仙台高等裁判所 昭和49年(ネ)36号 判決 1975年10月06日

控訴人(附帯控訴人)

右代表者法務大臣

稲葉修

右指定代理人

相川俊明

外四名

被控訴人(附帯控訴人)

(破産者大友秀男破産管財人石黒良雄訴訟承継人)

大友秀男

右訴訟代理人

門間春吉

主文

本件控訴および本件附帯控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人(附帯控訴人)の負担とし、附帯控訴費用は被控訴人(附帯控訴人)の負担とする。

事実

控訴人(附帯被控訴人。以下単に控訴人という。)は、「原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。被控訴人(附帯控訴人。以下単に被控訴人という。)の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、附帯控訴に対しては附帯控訴棄却の判決を求めた。

被控訴人は、控訴棄却の判決を求め、附帯控訴として「原判決中被控訴人敗訴部分を取り消す。仙台市原町南目字芳谷地所在の別紙図面Eの土地が被控訴人の所有であることを確認する。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者の事実上の主張および証拠関係は、左記に補足するほか原判決の事実摘示と同一であるからこれを引用する。(なお右事実摘示中に訴外大友秀男と記載されている部分は被控訴人と読みかえるものとする。)

(控訴人の主張)

一、仙台市原町南目字中芳谷地所在の別紙図面記載B、C、D、F、G、Hの各土地(以下本件係争地と略称する。)は、土地台帳付属図面(以下単に公図という)上水路と表示されている建設省所管の公共用財産であり、建設大臣から機関委任を受けた宮城県知事が建設省所管国有財産部局長として管理している土地でいわゆる公物である。本件係争地は、公図が作成された明治二〇年頃には現実に水路として使用され、他の水路と有機的に連絡して水系をつくり、被控訴人の所有する田のみならず、付近一帯の田の灌漑用水路として公共の用に供されてきたものである。このような公物である本件係争地について、行政主体による公用廃止行為がなされたことはないから、本件係争地は時効取得の対象とはなり得ないものである。

二、かりに公物について、公用廃止行為がなされなくとも、外見上公物としての形態を失なつてしまえば時効取得の対象となると解されるとしても、本件係争地はなお公物としての形態を保持していたものであるから時効取得の対象とはならない。すなわち本件係争地は、古くから一般公衆の農耕作用の灌漑水路であつたもので、河川と同じく流水部分と左右の堤塘部分とにわかれ、流水部分は水田の灌漑用に、堤塘部分は農道用に、それぞれ公共の用に供されてきたのである。そして昭和四〇年八月現在においても、流水部分こそ土砂等で埋つたところがあつたとしても、その埋つた部分と従来の堤塘部分が全体として農道となり、従前の水路に相当する土地がそのまま一般公衆の通行の用に供されていたし、将来も一般公衆に利用されるものとして公用を果していたのである。それは、老朽化した水路ないし農道としてなお公物としての形態を保持していたのであり、被控訴人所有の田の耕作の用にのみ供されるようないわゆる畦畔とは明らかに性格を異にするものであり、私人による時効取得の対象となるものではない。

三、本件係争地は、前述のように農道で、幅員も二尺五寸(約七五センチメートル)以上あり、なかでも別紙図面Dは馬車が通れる程の広さで、訴外荘司格一所有の田との境界でもあつたところから、同人や周辺の田の耕作者ら一般人の通行の用に供されてきたのであり、被控訴人が自主占有してきたとはいえない。

四、被控訴人の主張のうち、本件係争地が公用に供されてたことがないという点は否認する。また別紙図面Eの部分が他の水路と連絡している水路であることは認めるが、右の部分が、もつぱら被控訴人の田の耕作の用にのみ供されていたという点は否認する。

(被控訴人の主張)

一、被控訴人は、さきに破産宣告を受けたが、昭和四九年四月二三日強制和議認可の決定を受け、右決定は、同年五月二一日の経過をもつて確定した。よつて被控訴人は復権したので、破産管財人石黒良雄がしていた本件訴訟手続を承継する。

二、本件係争地は、明治初年以来周辺の田の耕作の便に供されてきた水路もしくは畦畔であり、耕作地でないために地租改正にあたつて課税対象から除外されひいて土地台帳にも記載されずに国有地となつたが、もともとは民有地であつた。そして田の耕作の便に供する以外に何ら公共の目的に使用されたこともないのであるから、これを公物ということはできない。

三、本件係争地周辺の仙台市原町南目字中芳谷地二六六、二六九、二七二、三二四の二、三三二、三三八の各地番の田(以下において本件田という)は被控訴人が昭和二二年七月二日、自作農創設特別措置法にもとづいて控訴人から売渡を受けた。この本件田と本件係争地は、南方を通称巴堀によつて、北方を暗渠排水溝によつて、それぞれ区切られ、東西両端はそれぞれ小さな水路によつて周辺の田から区切られているほぼ正四角型の土地である。そして本件田と本件係争地を含む部分は、被控訴人の先祖が旧仙台藩主伊達家から借り受け耕作してきたものであり、被控訴人の先祖は、本件田と本件係争地を含む部分を自らの判断によつて耕作に便宜なように畦畔をつくり、あるいは私道をもうけて稲作を続けてきたのである。そしてこのような耕作の過程で本件係争地は、公図上こそ水路としての表示が残されているとしても、現況は本件田の部分と一体をなして水田もしくは畦畔に変容してしまつていたのである。そのために本件田の売渡を受けた被控訴人は、本件係争地の部分をも自らの所有と信じて平隠公然に占有してきたものであるから時効取得を妨げるものではない。

四、別紙図面記載Eの部分は、他の水路と連結された水路ではあるが、被控訴人の田の灌漑用にのみ供されてきた水路であり、被控訴人はもちろん、その先祖においても自らの所有地として管理していたものであるから、本件係争地同様に時効取得が認められて然るべきである。(証拠)<略>

理由

一別紙図面記載のB、C、D、F、G、Hの土地すなわち本件係争地が法務局備えつけの土地台帳に登載されていない無番地の土地で、もと国有地であつたことは当事者間に争いがない。そして成立に争いがない乙第一号証の一によると、本件係争地は、公図上青色に塗りわけられて水路として表示されていることが明らかである。したがつて、本件係争地は、水路としての自然的な性格上当然に公共の用に供されているいわゆる公物とみるべきものであり、通常の場合には行政主体による公用廃止行為がない限り私的占有ないし時効取得の対象とはなり得ないものというべきであるが、たとえ公物であるとしても、その公物としての外観が失なわれ、現に公共用財産としての使命を果たしていない場合には、時効取得の成否につき一般の私有地と法的取扱を異にする理由がないから、時効取得の成立を妨げないものと解すべきであるので、以下において本件係争地の形状や占有の状態について検討することにする。

二まず<証拠>によると、本件係争地は、公図によると、仙台市原町南目字中芳谷地二六六番(二〇一五平方メートル)、同二六九番(一九〇七平方メートル)、同二七二番(三二〇三平方メートル)、同三四二番の二(一二五九平方メートル)、同三三二番(一九一七平方メートル)、同三三八番(二一三五平方メートル)の本件田を東西または南北に区分しながら流れる帯状の水路で、その幅員は別紙図面のように広いところで三メートルから狭いところで二メートルであることが認められる。しかし、<証拠>によると、本件田と本件係争地を含む一帯の土地は、南側を通称巴堀という水路によつて、北側を暗渠排水によつて、それぞれ区画され、東西両端もそれぞれ細かい水路(西側は別紙図面記載Eの水路にあたる)によつて区切られたほぼ正四角型の土地の一部であるが、そのうち本件田と本件係争地の部分は被控訴人の祖父が訴外伊達宗基から借り受けて小作していた当時から合計四五枚の水田に区分けされていたという事実が認められる。すなわち別紙図面Aの私道北側二七二番の田は細い畦畔によつて五枚の田に分割され、別紙図面Aの私道南側の部分は東西八列、南北五列合計四〇枚の水田に分割され、それぞれ幅員がせいぜい二尺五寸(約七五センチメートル)か二尺(約六〇センチメートル)程度の細い畦畔によつて区画されていたというのである。そして<証拠>によると、被控訴人は、昭和二二年七月二日本件田を自作農創設特別措置法にもとづいて控訴人から売渡を受けた(この事実は当事者間に争いがない)が、その当時の本件田および本件係争地の状況は、前示のように被控訴人の祖父が耕作していた状態と全く同様であつたために、被控訴人は、本件田と本件係争地を含めた水田と畦畔全体を売り渡されたものと信じて占有してきたという事実が認められる。これらの事実に対して、被控訴人の祖父や被控訴人が本件田を耕作していた当時、本件係争地がなお公図に記載されているとおりの幅員を保つた水路としての原型を保持していたことを認めるに足る証拠は全くない。成立に争いのない乙第二号証の一の図面も、公図の記載を現地にあてはめて作成されたものであり、本件係争地の現況を正確に伝えるものではないから、右の認定を左右するに足りない。

右のような公図の記載と現実の占有の経過を考えあわせると、結局本件係争地は、公図作成時こそ水路としての形状を保つていたかもしれないが、その年月の経過にともないあるいは水田に、あるいは畦畔にと作りかえられ、水路としての外観を全く失なつてしまつていたものと認定するのが相当であり、被控訴人の占有は、このように公物としての外観を失なつた本件係争地に対してなされてきたものとみられるから、所定の要件を満すことによつて時効取得することを妨げる理由はないということになる。

そして、<証拠>によると、被控訴人は、前示のように昭和二二年七月二日控訴人から本件田の売渡を受けると同時に本件係争地についても自らの所有地として昭和四〇年五月頃まで自己もしくは家族の手によつて水田もしくは畦畔として平穏公然と占有を継続してきたものであることが認められるものである。そして被控訴人が祖父の代から耕作していた本件田を自作農創設特別措置法により控訴人から売渡を受けたものであることや、前示のように水田と畦畔の状態になつていた本件田と本件係争地の位置関係と使用状況等にてらすと、被控訴人が本件田とともに本件係争地も自己の所有地となつたと信ずるのも無理からぬところであつたと解されるから、被控訴人が本件係争地の所有権も取得したと信ずるについては過失がなかつたものと認められる。したがつて被控訴人は遅くとも昭和二二年七月二日から一〇年の経過とともに時効により本件係争地の所有権を取得したものというべきである。

三もつとも、控訴人は、本件係争地が水路としての外観を失なつたとしても農道もしくは老朽した水路としてなお公共の用に供され、公物としての外観を保持していたのであるから時効取得の対象にならないし、またその外観故に被控訴人において自主占有をしていたことはあり得ないと主張するのであり、<証拠>によると、一部控訴人の主張にそうような事実が窺われない訳ではない。しかし、右の証言や乙第五号証の二として提出されている写真によつても、右の証人らが農道と主張する部分が、本件係争地と位置的に一致するかどうか正確な実測を伴つた訳ではないからはつきりしない点はひとまず措くとしても、前示二で判示したように、被控訴人が本件係争地の占有を開始した当時、本件田と本件係争地内には、公図記載のような幅員二メートルないし三メートルの水路は存在せず、水田とそれを区画する幅員約七五センチないし六〇センチの畦畔とみるべき土地しかなかつた事実を否定するに足る証拠はないのであるから、本件係争地全部が公物としての外観を保持していたとする主張が認め得ないものであることは明らかである。また、右の畦畔と認定した土地が、本件係争地の一部であり、かつ、被控訴人の水田の耕作の用にのみ供されるという意味の畦畔ではなくて一般人の通行に供される農道等であつたということを理由に時効取得を免れるためには、控訴人において本件係争地のうちでなお公物としての外観を保持している部分を特定して主張し、またその特定できるように立証する必要があると解すべきであるが、このような部分を特定し得る証拠はない。それのみならず、<証拠>によると、本件田および本件係争地を含む周辺の水田地帯は、被控訴人所有地をも含めて昭和四〇年五月頃に宮城県開発公社の手を通して買収され、工場用敷地として整地されてその様相を一変し、今日では、本件係争地の一部がなお公物としての外観を保持していたことを確かめるとともにその部分を特定する方法が全く失われていることが明らかである。このように時効取得を免れる部分を特定し得ない以上、控訴人側の主張を採用し得ないことは明らかである。また、被控訴人の本件係争地に対する占有が自主占有にあたらないとする控訴人の主張は、前示二、において認定した本件係争地に対する被控訴人の占有の状態にてらして採用し難い。

四別紙図面記載Eの土地が、被控訴人が本件係争地を占有していた当時なお水路としての外観を保持していたことは被控訴人も認めるところである。してみると右Eの土地はその自然的形態自体からして公共の用に供されていることが明らかであるから、たとえEの部分を流れる水が被控訴人の田の灌漑用にのみ用いられていたとしても、被控訴人においてEの土地を時効取得をするに由ないことは明らかであるというべきである。

五以上を要するに、本件係争地について被控訴人の所有権確認の請求を認容し、別紙図面Eの土地について請求を棄却した原判決は結局において正当であり、本件控訴ならびに附帯控訴はいずれも理由がないというべきであるからいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用について民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(石井義彦 石川良雄 守屋克彦)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例